「演歌」という表現について考える ─添田唖蝉坊と東京─

浅草弁天山にある記念碑

『演歌の明治ン大正テキヤ フレーズ名人・添田唖蝉坊作品と社会』刊行後の備忘録です。

「昭和」の終わりに現れた演歌師

図書館で新聞の縮刷版の調査をしていたら、演歌師に関する記事を続けて見つけました。

・「演歌師 後継者ヤーイ 20代、ヤング大歓迎 ベテラン石田梅林さん呼びかけ」昭和61年(1986)2月21日付 読売新聞・東京地方版
・「〝浅草の芸〟アンコール 2年ぶりに公演会 第一弾はバイオリン演歌」昭和61年(1986)11月18日付 読売新聞・東京地方版
・「大道芸 浅草に復活 サアお立ち合い大衆芸能の神髄だよ バナナのたたき売りや火を噴く男、一人合奏……」昭和62年(1987)7月4日付 読売新聞・東京地方版

1番目の記事には、独学でバイオリン演歌を体得したという石田梅林氏が後継者を探しているという内容で明治の発祥で昭和の初めまで続いた「演歌」を紹介していました。

残りの2つは、50年にわたって浅草の木馬亭で大道芸やお座敷芸をみせる「浅草・ふきよせの会」を主宰してきた吉村平吉氏が、2年間の充電期間を経て新装「浅草プロデュース」として再開するというものと、翌年夏に同じ主宰者によるROXビルの前で大道芸パフォーマンスを行う告知の内容。それぞれにバイオリン演歌師として桜井敏雄氏、大江しげる氏の名前が見えます。

30年前の頃ですでに「演歌師」という大道芸が非常に数少ない芸事になっていることを感じさせます。または、やる人の数は少なくなったものの、「演歌師」として東京で活躍できる場が残っていたという見方もできます。

大道芸をみつけて立ち止まる

今年5月のことです。上野の不忍池がみえる周りはお昼ともなれば憩いの場として人が集まります。僕も用事のついでにちょっと歩いていました。すると、前方の方に大道芸をする老齢のお二人を見つけました。

一人は踊り手。カツラと女性の着物、顔は白く塗っています。細身で小柄ではありましたが、おそらくおじちゃんです。おじちゃんがゆっくりと、小さな円をたどるように舞っています。

もう一人は演奏。しかも一人二役。片手でキーボード、もう一方で笛。足場が悪いように見えましたが、それもそのはず、そこの地面は別に舞台として作られてはいないでしょう。でもこちらもゆっくりと、有名な洋画のテーマ曲を弾いていました。

そのお二人のことを、しばらく見ていました。ほかにもベンチや適当な場所に腰掛けた人が見ていました。

踊りのおじちゃんは、別段とくに衆目を意識して煽るような振る舞いはなく、実に淡々とこなしています。演奏の方も素人目にも二役はかなり難しそうですがメロディを崩すことなく奏でています。

押しつけることのないお二人のパフォーマンスが、その時の気候も手伝ってとてもしっくり来ました。

こういう円熟もまた大道芸というんだろうなぁと、しみじみ思ったのです。

演歌の歌詞を集めてみる

『演歌の明治ン大正テキヤ フレーズ名人・添田唖蝉坊作品と社会』と名付けて、演歌師のルーツ、添田唖蝉坊・知道二代が残した歌詞を集めた本を作りました。

それまで一度も大道芸の演歌を聴いたことはありませんでしたのでそれを逆手に取り、YouTubeで動画があるのは見つけてもできるだけ聴かず、歌詞だけから受ける印象を重視しました。

歌詞集として演歌作品をテーマに分けて構成してみたら、大道芸とは違った文脈で読者に問いかけるものがあるのではないかという仮定です。歌詞の研究史的な解説はわきに置いて、フレーズを軸に並べてみると、数行の短かさにも物語が浮かんでくる作品が多いのです。

制作の過程では不十分な所があり、心残りの部分もあります。それは次への糧として心に刻みました。

「無敵の社会批判節(フレーズ)!」と本のカバーに刷り込みましたが、そこまで大げさではなくとも、きっと時代を超えたフレーズの魅力があると思いました。

刊行が縁で、岡大介さんの唄う「かんからそんぐ」にも出会うことができました。CDを何度も聴いてから、木馬亭独演会『第8回 岡大介「浅草木馬亭独演会2016』に足を運び、芸能に生きる人のかっこよさ、表現の妙を知ることができました。

悲哀の歌詞を陽気に唄うことで、文字だけでは表現できない世界があります。それは不忍池でみた円熟の大道芸に通じる、陽気に包まれたもの悲しさと通じます。

新宿駅南口の路上パフォーマンス

新宿駅南口付近の広い歩道で若い人たちが音響道具や宣伝物を用意して、夜空の下でラブソングやジャズの演奏をしているのをよく目にします。

どんな人が見ているか分からない雑踏の中では、共感も呼べば反発も予想されるわけですから、その度胸だけでも拍手喝采。彼らのパフォーマンスに待ったをかけるのは、今のところ規制を促す警察官の方たちに限っているようです。

僕が学生だった頃の、それこそ20年は前のヒットソングが、今の若い人たちが持つニュアンスで伝わってくるのは面白いです。

そんなパフォーマンスの中で、誰か唖蝉坊の演歌を唄う人が出てこないかなあとこっそり思っています。

唖蝉坊たち演歌師が唄った演歌は、その時々の替え歌で社会に歌声を響かすのが醍醐味ですから、今の感性で作詞してしまっていい。『演歌の明治ン大正テキヤ』に寄稿して下さった和田崇氏は「唖蝉坊の演歌と替歌の連鎖」と題して、そこの所を描いて下さっています。ぜひご一読下さい。

稼ぎのための大道芸「演歌」なのか、別の目的の「演歌」なのか。まだこれを説明できる明快な答えを見つけていませんので、関心を保って行きたいです。

文責・板垣誠一郎

備考:他社様のお話ではありますが、添田唖蝉坊に関する書籍『演歌と社会主義のはざまに 啞蟬坊伝』(藤城かおる、えにし書房刊)『軟骨的抵抗者 演歌の祖・添田啞蝉坊を語る』(鎌田慧・土取利行、金曜日刊)が刊行されることを知りました。時代の要請か、演歌という表現はなくなりそうにありません・・・!!

追記:添田啞蟬坊や「明治演歌」を語る大瀧詠一氏と高田渡氏とのラジオ対談の記録がYouTubeに出ています。この当時のラジオでの語り、様々な世代を意識した言葉選びを自然となさっているようなお二人の口調、番組の構成です。今聴いても判りやすい内容になっています。


演歌の明治ン 大正テキヤ
フレーズ名人・添田唖蝉坊作品と社会
社会評論社編集部/編
添田唖蝉坊/詞
中村敦・白鳥博康・吉﨑雅規・厚香苗・和田崇/寄稿
定価=本体1800円+税 ISBN978-4-7845-1917-0

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投稿者: 社会評論社 サイト

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