専門医から「完全なアルコール依存症」と診断されて自助グループに入会、酒を飲まない生き方を選んだ。後、断洒歴30年を表彰され、72歳の現在も感謝しながら例会と断酒をつづけている中本新一氏の新著『酒のやめ方講座』が今月刊行となりました。目次詳細、序文をお伝えします。
目 次
開講のあいさつ
*朝例会
第一講 酒と日本人
- 飲み過ぎが約三四三九万人
- 欧米では酒類の消費量をへらす政策を実施している
- 日本の酒類の相対価格の「安さ」
- 日本では多量飲酒者もアルコール依存症者も激増している
- 日本人には酒に弱い人が多い
- アルコール依存症になりやすい酵素のタイプ
- なぜ、飲むことと酔うことに寛容な文化をもつようになったのか
- 医療の見方と世間の考え方にはギャップがある
- アルコール依存症の高校生も存在している
- 女性のアルコール依存症には摂食障害を合併していることが多い
- 二種類に分かれる高齢アルコール依存症
第二講 酒害者を医療につなぐ
- 家族には厳格派と世話焼き派がある
- 世話焼き行為をつづける理由
- 酒害者自身が治療をうける気になることが重要
- いつ切りだすか、だれが言うのか
- 入院治療と通院治療の違い
*ランチタイム
第三講 酒を断ちつづける方法
- 自助グループに入会することが近道
- 飲めばどんどん進行していくアルコール依存症
- 一九三五年にAAがうまれた
- 医療も家族もアルコール依存症を治せない
- たくさんある自助グループの効果
- 断酒会とAAの相違点
- 酒を断ちつづける具体的な方法
第四講 日本はアルコール依存症にどう対応してきたのか
- 欧米の事情から知らねばならない
- テンペランス運動の影響をうけた日本
- 精神衛生法が施行されていた時代
- イェール大学がアルコール問題対策の拠点になった
- ようやく昭和四〇年代からアルコール依存症対策が始まった
- 日本のアルコール医療のアカンところ
- 新自由主義政策が激変をもたらした
- アルコール健康障害対策基本法をめぐる二種類の対応
- 大きな弱点を指摘できない社会は危ない
第五講 手記「酒びたりの我が半生」
- 自分を肯定できる気分をもとめて酒を飲んでいた
- こころに破調をもたらした第五福竜丸事件
- 他人の目、思惑を必要以上に意識する私の性格
- 酒蔵での雑役のアルバイト
- ハウスボーイや庭師見習いのアルバイト
- ロバート・ライキング先生の遠大な理想
- インド亜大陸の旅でもよく酒を飲む
- カルカッタの路上生活者
- 変わった人が集まった我が家
- 営業前日に大量に飲む私
- 依存症の入口に立つ
- 飲むことと酔うことに超寛容な山村
- 在日韓国人の塗炭のくるしみ
- 在日生徒に民族の誇りを!
- 酒量をコントロールできなくなった
- 体験談の重さ
- 自助グループがあったからこそ生きてこれた
*QあんどA
閉講のことば
開講のあいさつ
日本社会が、飲むことと酔うことに超寛容な飲酒文化をもっていることは、よく知られた事実ですが、わが国の大量飲酒者やアルコール依存症者の数も、国際的には多いほうです。
大量飲酒者とは1日に平均5.5合以上の清酒を飲む人のことで、私などよくそれだけ飲めるものだと驚くのですが、大量飲酒者は別として、アルコール依存症者はさぞかし苦しい毎日を送っているだろうと同情します。アルコール依存症に罹患してからの酒は、酒好きなどという範疇を越えたもので、強烈な切迫感があって、苦痛の多い結果になることがわかっていながらも飲まずにいられないのです。アルコール依存症者は、配偶者や子ども、親など身近なものを傷つけ、病気に巻きこみながら進行し、平均五一歳で死んでいくのですが、その死はたいへん淋しいといわれています。
実は私もアルコール依存症者です。正真正銘の酒害者であります。昭和58(1983)年2月にどうすることもできなくなって担ぎこまれた専門病院で、有名な専門医から「中本さんは完全なアルコール依存症ですよ」と診断されました。即、自助グループにつながり、地を這う思いで例会にかよい、診断された日から現在34年6か月が経ちますが、世間の人は容易に信用してくれないのですが、医者にやめるようにいわれた日を境に一滴も飲まずに今日まできています。私は断酒会に軸足をおきながらAA(Alcoholics Anonymous アメリカ型匿名断酒会)のミーティングにも精励しました。
いまも欠かさず例会にかよっているのですが、72歳まで断酒してきて、こころを痛めていることは、断酒という営みやアルコール依存症というものが世間の人びとによって大きく誤解されているという事実です。世間には迷妄(めいもう)、すなわち「酒はやめられない」、「飲酒ほどの快楽は他にない」「アルコール依存症者は虫ケラのようにつまらない」という謬見が信憑性(しんぴょうせい)をもって流布しているのですが、これが非常に腹立たしい。
自助グループの歴史がふるくなり断酒文化の蓄積も厚みをましていますから、実は少々の努力で酒を断ちつづけることができるのです。
自助グループを知れば、酒を飲まずに生きている人の数の多さに仰天するでしょう。
自助グループで活動しつづければ喜びや感動が倍加します。酒をやめたら、三度の食事がうまく、身体がかるく、よく眠れ、頭の切れもシャープでいつも意欲的でいられるのです。アルコール依存症の身でありながら断酒人になってからプロ野球の球団社長になって、チームのリーグ優勝に貢献した人もいますし、卑小な私自身にしても、日本の酒害を大幅にへらす研究で63歳という老齢で博士号をいただき、またアルコール依存症を啓発する本も11冊公刊してきました。
例会(AAならばミーティング)はほんとうにいいものです。
例会にでれば、仲間の体験談が合わせ鏡のように作用し、聴くものに自分の死角を見せてくれますし、アルコール依存症者の波乱万丈の人生がトルストイやドストエフスキーの大作品なみの迫真力で訴えてきます。
体験談というのは、世界文学に匹敵するほどの感激と教訓をもたらします。「こんなところで人生の糸口がまちがっていたのか」と気づくことがたいへん多い。例会にでれば元気がでます。自分よりくるしい環境にありながらも立ちなおろうとする仲間のことばと姿勢が聴いているものを勇気づけます。
アルコール依存症は、スティグマに満ちて悲惨な病気だと解されることが多いのですが、ほんとうは負のイメージだけのものではないのです。
アルコール依存症と診断されたらショックをうけるでしょうが、考えてみれば私たち凡人は試練がなければ目覚めることがないわけですから、アルコール依存症の診断を契機にいい方向に舵をきることもできます。「艱難汝を玉にす」という格言どおり、アルコール依存症という病気に前むきに対処していけば、困難を乗りこえることにより大きく成長、発展できるのです。だからアルコール依存症と診断されたら、発展や成長の機会をあたえられたと解釈して喜べばいいのです。
何十年も昔、自助グループの入口ふきんで、「永くやめられるのは100人に1人だけ」とヒソヒソと語られていましたが、この同じセリフが今日でもつぶやかれています。それほどまでに断酒継続にはむずかしい局面がたしかにあるのですが、それは基礎的な部分でつまずくからです。ひとつは、仲間にかかわって自らの断酒も在るということを知らないから横道にそれるのです。仲間とともにやめていかないからつまずくのでしょう。自助グループ全体の利益を優先してこそ個人も酒をやめられるのです。
幅のひろい思考力がとぼしい場合もつまずくでしょう。
さらになにを目的にしてやめていくのか、という戦略が欠かせない。自助グループに入会してからのことですが、飲まない日数をのばしていく戦略でいいのか。それとも、人格面の向上を優先しなければ、いずれ飲むのか。断酒期間か人格か。こういうテーマに即応した断酒戦略でないといつか破綻するのです。
酒をやめなければならないのはアルコール依存症者や大量飲酒者だけではありません。肝臓疾患、糖尿病、高血圧、心臓疾患、うつ病も長期の断酒が必要でしょう。
私はこれから「酒のやめ方講座」を述べていきますが、酒をやめたい人、酒をやめねばならない人に喜んでいただくものにしたいと思っています。
中本新一
酒のやめ方講座
四六判並製232頁、定価=本体1700円(税別) 2017年9月8日刊行
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○著者紹介 中本新一(なかもと しんいち)1945年生まれ。同志社大学大学院博士後期課程修了。博士(政策科学)。1983年2月、専門医から「完全なアルコール依存症」と診断されて自助グループに入会、酒を飲まない生き方を選んだ。2013年に断洒歴30年を表彰され、72歳の現在も感謝しながら例会と断酒をつづけている。
〔著書〕
『勇者が拳を固めるとき』(成文堂、1971年)
『五組新聞奮戦記』(神保出版会、1992年)
『ザ・教育困難校』(三一書房、1995年)
『酒はやめられる』(三一書房、1999年)
『アルコール依存社会』(朱鷺書房、2004年)
『脱・アルコール依存社会をめざして』(明石書店、2009年)
『仲間とともに治すアルコール依存症』(明石書店、2011年)
『酒の悩みのない社会へ』(阿吽社、2013年)
『今日一日だけ──アル中教師の挑戦』(社会評論社、2015年)
『ヤバすぎる酒飲みたち! 歴史にあらわれた底なしの酒客列伝』
(社会評論社、2016年)