| 詳報 | 井上理恵/著 川上音二郎と貞奴 全3巻

日本近代演劇の幕をあけた音二郎と貞奴。その演劇的冒険と破天荒な生涯。

第3巻 ストレートプレイ登場する

この国の近代演劇の扉を開けた川上音二郎と貞奴の身体表現は、日本の新しい時代にマッチした。彼らの演劇は〈明治〉に生まれた人々(民衆)を魅了しただけではではなく、アメリカやヨーロッパの人々にも型破りな新鮮な表現として受け入れられた。そして劇場改革・演劇改革が始まり、〈演劇の前近代〉が遠のいていく。


はじめに

第一章 世界巡演を振りかえる 明治政府のプロパガンダとしての身体・表象
1 政談から芝居へ
2 為政者と川上 ―― 期待される演劇人
3 〈明治〉の身体
4 衣服と表現
5 〈語り〉と表現
6 川上と貞奴の身体表現
第二章 正劇「オセロ」の上演
1 「影響の不安」―― 近代人川上の先駆性
2 シェイクスピアの「オセロー」
3 「オセロ」假仕組と貞奴の初舞台
4 シェイクスピアと正劇「オセロ」の構成
5 「オセロ」の反響 ――「さながら西洋の劇を觀るが如し」
貞奴のデビュー
演劇史への疑問
第三章 シェイクスピア作品とお伽芝居
1 東京市養育院慈善演劇 「江戸城明渡」「マーチャンドオブヴェニス」
「江戸城明渡」
「マーチャンドオブヴェニス」
2 初めてのお伽芝居(一九〇三年一〇月)  「狐の裁判」「浮かれ胡弓」
「狐の裁判」
「浮かれ胡弓」
3 本邦初演「ハムレツト」本郷座(一九〇三年一一月)
「ハムレット」と五か條の劇場改革
翻案「ハムレツト」の反響  鳥熊芝居・青々園・芹影・洋楽演奏
第四章 俳優養成・帝国劇場・大阪帝國座
1 音二郎と明治の財閥
2 帝国劇場建設計画 ―― 女優養成と「モンナワンナ」
3 帝国劇場から帝國座へ
4 〈巴里〉の六ケ月 ―― 一九〇六~七年
5 川上革新興行と女優養成所
革新興行と川上式暗轉電機
貞奴の女優養成所  ――一九〇八年夏
第五章 大阪帝國座開場
1 韓国英太子の台覧 ―― 西園寺首相官邸大夜會
2 新派大合同「ボンドマン」
新派大合同
「オセロ」の再演 一九一〇
3 大阪帝國座開場
開場公演「岩戸開」「ボンドマン」
帝國座という劇場
音二郎の死 一九一一年〈M44〉
おわりに ―― 貞奴のその後
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第2巻 世界を巡演する

アメリカ大陸を横断し、ヨーロッパの主要都市を巡演する、川上一座の破天荒な、しかし洒落たアヴァンギャルドな新演劇。三〇代の川上音二郎と貞奴、そして一座の人びとは日本近代社会〈明治〉という時代に生きる 〈現代の言葉と身体〉を、世界の同時代人たちに見せてきたのである。国家権力の近くにいて、世界で〈遅れて来た日本国〉の役に立ちながら、権力に頼ることもせず、利用もせず、同業者からの攻撃の矢を一身に受けながらも自身の理想を求めて歩んだ音二郎と貞奴。


はじめに

第一章 アメリカ大陸横断 一八九九年
1 日本からハワイへ Hawaii  
2 サンフランシスコ San Francisco
3 シアトル・タコマ・ポートランド Seattle・Tacoma・Portland 
     ――「藝者と武士」の誕生
4 シカゴ Chicago ―― 興行師と出会う
5 ボストン Boston ―― 成功
ボストン公演 ――「甚五郎」の登場
丸山と三上の死 ――「洋行中の悲劇」
ヘンリー・アービング の〈贈り物〉 Henry Irving in Boston
華盛頓の小村壽太郎(駐米公使)の計らい
6 ワシントン Washington ―― 日本公使館夜會
7 ニューヨーク NEW YORK
バークレイ・ライシアムBerkeley Lyceum
ブロードウエイ・ビジョー座Bijou Theatre
俳優学校見学
「サッフォー」再上演
第二章 ヨーロッパ 一九〇〇年
1 ロンドン到着 London
コロネット座Coronet Theatre
2 「空前の記念 絶後の名譽」
3 パリ万国博覧会への誘い ―― ロイ・フラー
4 パリ万国博覧会で開演 Exposition Universelle de Pari
第三章 帰国そして再渡欧 一九〇一年~〇二年
1 川上一座海外巡演の〈総括〉
2 再訪 ロンドン 一九〇一年
讃岐丸で出航
ロンドン到着
ロンドンの五つの上演演目
芝居の観客 漱石
3 パリ再訪
グラスゴーからパリへGlasgow to Paris
貞奴の表象
4 ドイツ ―― 中・東欧諸国巡演
5 巡演の終わり ―― 帰国へ
イタリア
帰国――一九〇二年八月
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第1巻 明治の演劇はじまる

世情を風刺した「オッペケペ節」で知られる川上音二郎(一八六四〜一九一一)は、「日本近代演劇の祖」と位置づけることができる。新聞小説の舞台化、世界巡業、西洋風の劇場の建設など多くの演劇的冒険を試みた。


はじめに
第一章 川上音二郎の登場
1 〈東の京〉の出現――徳川さんから天皇さんへ
2 音二郎、登場する(明治一六年)
3 政談・講談・讒謗律・自由党
4 日本立憲政党新聞発行名義人
5 音二郎と演劇改良
6 俳優デビュー、音二郎舞台に立つ(一八八七年)
7 御注進役とオッペケペの扮装
8 京都・名古屋・横浜(一八八七年~九〇年)オッペケペの始まりと一座の立ち上げ
9 音二郎、東京で公演する(一八九〇年)川上の口演と「板垣君遭難実記」
第二章 中村座の大成功・巴里・日清戦争
1 中村座公演 一八九一年六月
2 中村座の二の替り・三の替り
3 音二郎、市村座へ出勤 一八九二年
4 音二郎、パリへ行く 一八九三年
5 劇場建設・結婚・舞台の改良
6 「意外」「又意外」「又又意外」
7 日清戦争
8 川上の「日清戦争」
9 渡韓から東京市祝捷大会
第三章 文芸作品の上演と川上座
1 市村座初春興行 一八九五年
2 歌舞伎座初登場
3 又又、歌舞伎座出勤
4 紅葉・鏡花合作「滝の白糸」
5 浅草座の「台湾鬼退治」一八九六年
6 台湾巡業と「生蕃討伐」一九一一年
7 川上座の落成 一八九六年
8 川上座第二回公演以後
9 川上座最後の上演作品
10 歌舞伎座の新俳優大合同演劇
終 章 「金色夜叉」初演から海外への旅立ち
1 「金色夜叉」
2 初演から再演へ
3 再演「東京座」公演
4 衆議院選挙立候補 一八九八年

あとがき

引用文献
索引

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著者より読者へ

川上音二郎は1911(M44)年11月11日朝、自分で建てた劇場・大阪帝国座(堂島)で華々しくも短い生涯を閉じた。旧暦文久4年(または元治元年)の生れであるというから、47、8歳ということになる。近代社会の新演劇の開祖、新聞小説の初の舞台化、日本の演劇人として初の世界巡業、西洋風劇場を東西に建設、近代的な児童劇の初上演、歌舞音曲抜きのストレートプレイ〈正劇〉の初上演……等など、全てが〈初めて〉ずくしの人生を歩んだ演劇人である。

妻であった川上貞(舞台では貞奴)が1933年に岐阜鵜沼に建てた貞照寺に保存されている葬儀時の資料をみると川上の生前の華麗さが伺える。二〇歳前後で登場し、怒涛のような人生を紡いだ演劇人川上音二郎の四半世紀が終ったのだ。

かぶきの始まりを出雲の阿国に求めると同じように、川上音二郎は、〈新派の祖〉といわれてきた。当初〈新派〉というのは、江戸期以来からあったかぶきが〈旧派〉なら、新しい時代に生まれた新演劇は〈新派〉であるという意味で用いられたにすぎないのだが、〈新派の祖〉という時の《新派》は現在人々に記憶されている古めかしい芝居―明治期の家庭小説「不如帰」や「婦系図」を上演する演劇集団をさす。川上はたしかにのちに家庭小説といわれた新聞小説を舞台に上げたが、しかし川上が目指した演劇はこの種の演劇だけではなかった。

わたくしは、川上が目指したものは何だったのか、川上音二郎という演劇人が近代社会に初めて生み出した新演劇はどのようなものだったのか、それをあきらかにしたいと考えている。川上音二郎は近代社会の同時代演劇を民衆に提供した存在であり、もし〈祖〉と呼ばなければならないならかぶきの阿国の如く〈日本近代演劇の祖〉と呼ぶことこそふさわしいと考える。

にもかかわらず川上はその活躍ぶりに反して不当に扱われてきた感がある。亡くなる前の「大日本俳優見立」(M41年。池田文庫所蔵)では、川上は新俳優の「総大将」に位置していた。これは川上の当時の大きさが伺われる資料である。

本書では川上音二郎の新演劇人としての最後の演劇的冒険を追いながら、共に歩んだ貞奴や川上音二郎一座の舞台を可能なかぎり明らかにしていく。わたくしの試みは、川上音二郎と貞奴、そして川上音二郎一座の仕事を正当に評価し、〈偽〉を可能な限り〈真〉に近づけ、その復権を目指すものである。

いのうえ・よしえ 桐朋学園芸術短期大学特任教授 近現代演劇専攻。著書に、『近代演劇の扉をあける』(第32回日本演劇学会河竹賞受賞)、『菊田一夫の仕事—浅草・日比谷・宝塚』『木下順二の世界─敗戦日本と向きあって』など多数ある。ブログ「演劇時評」http://yoshie-inoue.at.webry.info/


2018年6月17日 毎日新聞書評面に著者インタビュー掲載!! http://mainichi.jp/book/ 


著者インタビューが西日本新聞(2018年3月25日)に掲載されました! ||井上理恵さん「川上音二郎は“新派劇の祖”と誤解されている。むしろ“日本近代演劇の祖”と位置付けるのがふさわしい。」||

投稿者: 社会評論社 サイト

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