|| 詳報 || 石井伸和/著『小樽志民 運河保存運動の市民力』

北海道新聞2018年7月1日付ほん欄に石井伸和『小樽志民 運河保存運動の市民力』の書評が掲載されました。評者・中舘寛隆氏「本書は小樽が観光都市へと飛躍する過程で、この市民運動が果たした役割を、渦中にあった当事者の立場から検証したドキュメントだ。」

若者たちのまちつくりと「志民」運動のドキュメント 石井伸和/著『小樽志民 運河保存運動の市民力』

小樽志民 運河保存運動の市民力
石井伸和/著
四六判並製・239頁 定価=本体2300円+税 2018年4月刊

はじめに(全文)


平成二八年度、小樽市の観光入込数は実に七百九十万人に達した。しかし五十五年前、昭和三五年の観光入込数はわずか七九万七千五百人でしかなかった。没落した港町が北海道を代表する観光地に成長した最大の原動力は、昭和四八年から五九年にかけた十二年間、世論を?き立てた小樽運河保存運動だった。

本稿は、小樽運河保存の真っ只中にいた一人の若者の立場から、運動の足取りを追い、歴史的にどういうことだったのかをまとめたものである。タイトルの「志民」はこの運動を牽引した諸先輩を指し、あの時代に私益よりも公を思う若者がいたことを記録に残し、新たなまちづくりのエッセンスを残したいと思ったからである。

昭和の末期小樽運河保存運動は、小樽を飛び越えて全国で注目された。

北辺の港町の、役目を終えた運河の存亡を、多くのジャーナリストが全国に発信すべきと判断し、多数の報道に至ったのはなぜだろう。市民の圧倒的多数が運河保存に心を動かしたのはなぜだろう。観光に縁のなかった小樽が急激に全国区の観光地になったのはなぜだろう。

これらの疑問に答える鍵が小樽運河保存運動にある。現在の小樽を理解するとき、また未来の小樽を構想するとき、小樽運河保存運動の検証なくしては行えないと筆者は思っている。今なぜ小樽運河保存運動なのか? その疑問には、今を理解するために必要であるから、と答えたい。

筆者にとっては運河保存運動は、悔しさを敵にし、希望を味方にして戦ってきた十年(昭和五三~六二年)であった。敗北に次ぐ敗北を重ねたが、未だに「負けた」とは思っていない。

むしろ「勝っている」とさえ思っている。当時、埋立推進派は運河埋立事業によるおよそ百億円の公共事業を成果として誇っていたが、我々保存派が主張した観光による収入は、その後の三十年でおよそ三兆円にもなった。中央に拝み倒して獲得した公共事業の百億円の一時金と、自ら獲得した三兆円とを比較すると一目瞭然だ。

むろん経済効果だけでの「勝ち」を言っているのではない。その帰結は「志民」の存在に行き着く。時代や環境が変わろうとも社会は人がつくることに変わりはない。それゆえ、小樽に存在した「志民」の視点に今一度立ちたいと思う。

小樽運河保存運動が終結してから三十年を経た今日ではあるが、実はあれから我々は一歩も進んでいない、と思っている。

地域の歴史は世界に向かって開かれ、未来に向かって紡がれている。ゆえに、広い視野に立つ「志民」の心で、今こそ一歩進まなくてはなるまい。本書がその一歩になることを願っている。

石井 伸和


目次


はじめに

第1章 小樽運河の再発見

「小樽運河を守る会」の設立
労働会館の一室で
ノルウェー帰りの山さん
「叫児楼」店主興次郎
小樽の音楽シーン
「ビート・オン・ザ・ブーン」開催
全ての始まり「メリーズ会合」

第2章 「小樽ポートフェスティバル」の創出

藤森事務局長の悲劇
静屋通りの「藪半」
駒木講座/責任は俺が取る!
フリーマーケットの先駆け
なんでこんなに来るの?
ポートフェスティバル総決算

第3章 破られたタブー

八万人の世論
政治と経済の隙間を文化が歩くんや
依存するな! 自立しろ!
『水取り山』の寓話
藪半議論
お前が宣伝部長だ

第4章 運動のダイナミズム

考える会・愛する会
「まちづくり」の言葉を使うな
ボタンを押せ
「小樽モデル」の誕生

第5章 第二回ポートフェスティバルの風景

小樽財界の焦燥感
二代目実行委員長
ポートの〝衣〟
保格ラインの実働部隊
第二回ポートフェスティバル ─来場者も出店も倍増

第6章 強行採決

突然の「飯田構想」
保存派陳情不採択
経済界を説け キーワードは観光や!
安保世代の励まし
『老害と若気の至り ~果たし状~』
箕輪登の登場/右と左

第7章 祭と政の葛藤

第三回ポートフェスティバル ─どっこい運河は生きている
ニャン太の大冒険
第四回ポートフェスティバル ─生きる! 活かせ! 甦きろ!
ポートの世代交代
「売らない」「貸さない」「壊さない」
「運河公園構想」議会可決
青懇のパラソル
第五回・第六回ポートフェスティバル

第8章 大逆転

堤清二の爆弾発言
政治は夜つくられる
末岡メモ
まさかの「埋立見直し声明」
起死回生
ヤマさん、おもしれぇ やろう!
十万人署名
ラスボス登場!
リコール潰し
分裂と混乱

第9章 ポートフェスティバル実行委員長

だからお前なのよ だから決断しろ!
真実がそこにあるのにとまどう理由はない
第七代実行委員長
準備は終わり、今が勝負だ
控えた方がいいよ 危険だよ
小樽博という妨害工作
第七回ポートフェスティバル ─ウオーターフロント・コミュニティ

第10章 敗北と再起

無念の「横路裁定」
再起の場「小樽市活性化委員会」「小樽再生フォーラム」
小樽市活性化委員会のけじめ
リターンマッチ
勝手連事務局長
青天の霹靂
反故

第11章 運河保存運動が遺したもの

一千億円産業の誕生
運河論争と小樽観光
七十二のまちづくり運動


 

【著者プロフィール】

石井伸和(いしい のぶかず)
昭和31年(1956) 小樽生まれ
昭和49年(1974) 小樽桜陽高校卒業
昭和53年(1978) 龍谷大学経済学部卒業
昭和53年(1978) 株式会社ほるぷ入社
昭和54年(1979) 株式会社石井印刷入社
昭和63年(1988) 株式会社石井印刷代表取締役就任
*まちづくり歴
昭和54年(1979) 夢のまちづくり実行委員会委員
昭和59年(1984) 第七回ポートフェスティバル実行委員長
昭和59年(1984) 小樽市活性化委員会委員
昭和61年(1986) 第一回オタルサマーフェスティバル創設副実行委員長
昭和63年(1988) 後志群族秋の収穫祭 DOSA創設実行委員長
平成3年(1991) 北海道中小企業家同友会小樽支部青年経営者懇談会代表世話人
平成4年(1992) 小樽東海岸よろしく見本市実行委員会創設事務局長
平成5年(1993) 「小樽草子」共著自費出版
平成6年(1994) 「現場論」自費出版 小樽塾塾長 小樽まちづくり協議会宣伝部長
平成11年(1999) 廣井勇・伊藤長右エ門両先生胸像帰還実行委員会事務局長
平成13年(2001) 内山賞事務局長、第一回後志飲食祭創設事務局長
平成14年(2002) 北海道中小企業家同友会しりべし小樽支部副幹事長、第二回後志飲食祭創設事務局長
平成16年(2004) NPO法人歴史文化研究所設立 副代表理事、後志鰊街道普及実行委員会創設事務局長
平成17年(2005) 小樽市教育旅行誘致促進実行委員会広報副委員長
平成19年(2007) 北海道中小企業家同友会しりべし小樽支部政策委員長、小樽市総合博物館友の会役員
平成20年(2008) 榎本武揚没後百年小樽実行委員会広報副委員長
平成24年(2012) 小樽市教育旅行誘致促進実行委員会副実行委員長 NPO法人小樽民家再生プロジェクト理事
平成25年(2013) NPO法人OBM理事
*公職
小樽塾塾長、小樽まちづくり協議会宣伝部長、北海道中小企業家同友会小樽支部副幹事長・政策委員長、小樽観光協会委員、小樽市教育旅行誘致促進実行委員会副実行委員長、北海道印刷工業組合小樽支部マーケティング部長、小樽観光大学校運営委員会オブザーバー、小樽市総合博物館友の会役員、NPO法人歴史文化研究所副代表理事、NPO法人OBM理事、NPO法人小樽民家再生プロジェクト理事

 

購入サイト(外部リンク)

投稿者: 社会評論社 サイト

社会評論社 SHAKAIHYORONSHA CO.,LTD.