予告編2
満蒙開拓団を送り出した村から
ルポライター 室田元美
1945年8月9日 その日から始まった受難
長野県下伊那郡阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」。
ガラガラと馬が引く荷車に、日焼けした顔をほころばせた若者たちが乗っているスライドが映し出される。旧満州に満蒙開拓団として農業移民した27万人の人たち。日本の国策に従い、もっとも多くを送り出したのが長野県だった。
一方では日本政府によって土地を安く買いたたかれ、手放した旧満州の農民たちがいた。開拓団として入った人たちの中には、同じ土に生きる民として、先住の農民が苦労して開墾した土地を奪う後ろめたさを語る人もいた。
※
1945年8月9日にソ満国境線を破ってソ連軍が侵攻。一気に戦場になった。頼りにしていた軍隊の多くは、密かに南下していた。残された開拓移民たちは手に手を取り、いくつも川を渡り、密林や湿地を越えるすさまじい逃避行が始まる。
満蒙開拓平和記念館のライブラリーに保存されている証言の中に、「高社郷開拓団」の高山すみ子さんが語った「集団自決」の話がある。
「ここで覚悟してもらいてえ」。団長さんの言葉で、次々と人びとが自決していった。高山さんも左右にわが子を置いて「白いごはん食べられるから、ののさん(仏)になるか?」と聞いたら、うれしそうに「なる」と言った。男の人に頼んで自分の子どもを撃ってもらった。次は自分だと覚悟していたが、高山さんを撃つ男がソ連軍に攻撃されたため、「生き残ってしまった」という。
※
開拓団の人びとは、逃げ回る間にソ連軍に襲われたり、病気や疲労で生き倒れる人びとが相次いだ。体力のない老人や子どもたちは次々とついて来られなくなり、川幅の大きな流れを前にして渡れずに岸に残された老人たちがいた。親の前で流れにさらわれた子どもたちも大勢いた。どうしようもなかった。子どもを死なせるくらいならと中国人に預け渡した親たち。生き別れた子どもたちはその後数十年の間、残留孤児として大陸で育てられることになる。
収容所に入れられてからも、ソ連兵の暴行は続き、女性たちの中には性暴力の被害を受けた人たちが少なくない。大陸で自ら命を絶った人、心と体に深い傷を残した人、日本に帰ってからも差別に苦しんだ女性の姿があった。
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〈甲府の街と空襲の記憶〉
※この投稿記事は『ルポ 土地の記憶 ─戦争の傷痕は語りつづける─』の内容の一部を著者よりご寄稿いただくものです。(社会評論社)
既 刊
2010年8月刊
室田元美/著
ルポ 悼みの列島
あの日、日本のどこかで
四六判並製・286頁 定価=本体2000円+税
ISBN978-4-7845-0596-8
戦争と人をめぐる旅。語り伝える人びとをたずねて。
- 第1章 レジャー湖の水底で起こっていたこと [神奈川県・相模湖ダム]
- 第2章 地図から消された、毒ガスの島 [広島県・大久野島]
- 第3章 8月は、もうひとつの鎮魂の月 [京都府・舞鶴 浮島丸事件]
- 第4章 骨を掘る、若者たち [北海道宗谷郡・猿払村]
- 第5章 ひとの命の重さが計られた [長野県・松代大本営]
- 第6章 「首都防衛」の名残りを歩く [千葉県・館山]
- 第7章 「従軍慰安婦の碑」は語る [千葉県・かにた婦人の村]
- 第8章 大都会のミステリー、人骨の謎を追う [東京都・陸軍軍医学校跡地]
- 第9章 異国で被爆した人びと [長崎県・岡まさはる記念長崎平和資料館]
- 第10章 朝鮮半島との古い交流と、あの戦争 [大阪府・タチソのトンネル群]
- 第11章 Yデーに備え、地下壕を掘った [横須賀市・貝山地下壕]
- 第12章 住民の心にも残る「とげ」 [秋田県・花岡事件]
- 第13章 日中友好と反戦平和のために [埼玉県・中帰連平和記念館]
- 第14章 鉱山で生きた人びとの記録 [京都市・丹波マンガン記念館]
- 第15章 心に刻み、石に刻む [神戸港 平和の碑]
- 第16章 公害と労働運動、そして強制連行 [栃木県・足尾銅山]
- 第17章 行動するミュージアム [東京 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)]
- 第18章 同じ悲劇をわかちあうことの意味 [東京都 東京大空襲]
- 第19章 破れた海の底に眠る人びと [山口県宇部市・長生炭鉱]
- 第20章 それでも飛行機をつくろうとした [愛知県・瀬戸地下軍需工場]
- 第21章 語れる人がいなくなった、その後も [東京都・関東大震災]
- 第22章 抵抗の歴史から生まれたもの [高知県・平和資料館 草の家]
- 第23章 鉄と石炭と戦争 [福岡県・八幡と筑豊]
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