宇野弘蔵の法学に対する問題提起をふまえ、その経済理論との連関を検証して、本邦で初めて法の原理論を体系化する。
まえがき (全文)
本書は、『資本論』の随所に見られる法的カテゴリーを、宇野弘蔵の法学に対する問題提起にしたがって再構成し体系化することを意図した試論である。こうした「『資本論』に対応する原理としての法体系」を構築するという課題は、宇野自身が長年にわたり強く念願しながらもついに実現しえなかった、いわば宇野の〝遺言〟にあたるものでもある。
もっとも、不遜ながら、私がこのような〝遺言の執行〟を試みるのはこれが最初ではない。今から三〇年以上も前の一九八四年に、私にとって処女作である『資本論と法原理』と題する書物を論創社から刊行している。本書は、この旧著を内容、文体ともに全面的に書き改め、その後に執筆した関連論文を補ったものである。旧著『資本論と法原理』は、なにぶんにも三〇歳前後に書いた「若書き」であり、難解であることを秀逸であることと勘違いした悪文の典型であった。そのため、長年、その意図が読者に十分に伝わらなかったのではないかと危惧し続けてきた。けれども、そうした心配は杞憂であったのかもしれない。この書物は、すでに在庫がまったくない状態であり、一部の熱心な読者からその復刊を望む声が漏れ聴こえるようにもなってきた。そうした経緯もあって本書は上梓される。旧著の増補全面改訂版というより、ほとんど新たに執筆したものなので、まったく別の著作として読んでもらいたいと願い、タイトルも『経済と法の原理論』と改めた。
顧みれば旧著の執筆時、私はいまだ法社会学なるものを専攻する一大学院生であり、経済学にかんして誰の指導も受けたことのない門外漢にすぎなかった。そんな私が、無謀にも意を決して、あえて『資本論』=経済原論に対応する「原理としての法体系」を試作することに挑戦したのである。そのため旧著の「まえがき」には、かなり生意気で優等生を気取った調子で、その執筆の動機を次のように書き記していた。
「第一に、ますます錯綜と混迷をきわめ多元的に制定される現代国家の諸立法の解明のためには、一見迂遠のようであるが、資本主義=近代市民社会における意思関係(権利義務関係)の原理的構造を正確に把握し、各国の発展段階の典型的な立法化の機構を媒介に、その現代的変貌の根拠を探るしかないからであり、第二に、かかる現代法を分析する課題を果たすべく、法解釈学を乗り越え登場したはずのマルクス主義法学が、まったく有効に機能していない現状を多少とも切開せんがためである。」
けれども、この三〇有余年のあいだに、法学界の「マルクス離れ」は止め処なく進んで、わが国のマルクス主義法学は、一九七〇~八〇年代における藤田勇の『法と経済の一般理論』および『マルクス主義法学講座全八巻』の刊行をピークに衰退の一途をたどり、一九九一年のソ連邦の崩壊をへて二一世紀に入ると、もはや影も形もなくなってしまった。かつてのマルクス主義法学者は、いまやリベラルな進歩的人権派に装いを変えて、かつての学問的蓄積の一切を歴史のくず箱に投げ捨て、初めから何もなかったかのようにひたすら口をつぐんでいるようにみえる。
だが旧著の刊行にさいして記した私の執筆の動機は、現在でもいささかも揺らいではいない。むしろ、マルクス主義の終焉を真正面から見据えて確認するために、今こそ、この新著を上梓しなければならない。その使命感は、以前にも増して強固なものになっているとさえいいうる。
なぜなら、歴史のくず箱の中で消滅したのは、「一般理論」とか「マルクス主義」という用語が端的に示しているように、マルクスの片言隻語をエンゲルスが定式化してレーニンやスターリンへと継承された、階級社会一般の経済と法の関係を、主義(イデオロギー)としての唯物史観によって裁断するドグマそのものだったのではないか。しかもそれは、法律学につきまとう近代の市民的権利を擁護する規範観念とストレートに結びつくことによって、さらにいっそう、本来のマルクスの法理論から遠ざかっていったように思われる。すなわち、一方で、いまもって前近代的な共同体規範を告発し、独立・自由・平等の西欧的権利を展望する市民法学に見られがちな啓蒙的発想を色濃く帯び、他方で、現代資本主義の国家的組織化に追随した社会民主主義的な「社会法」ないし「公共の福祉」を賛美する、両極的な法曹的改良の実践と癒着することによって、イデオロギーから独立した社会科学としての法学の確立をますます困難にしてきたように思われるのである。
だがいうまでもなく、マルクス自身の法に対するスタンスは、初期の「ユダヤ人問題のために」や「ヘーゲル法哲学批判」から最終的に『資本論』にいたるまで、一貫して資本主義社会のイデオロギー体系としての近代法と権利そのものを批判の対象とするものであった。個別の法律のもつ階級的機能に対する実践的批判ではなく、「法は守られるべし」とされる近代法の合理性と正当性すなわち法の物神性そのものが、理論的に分析の俎上に載せられなければならない。じっさいこのことは、法学から始まったマルクスの社会科学が、政治学による階級国家の根拠づけに向かうのではなく、資本主義的市場メカニズムの特殊性を体系化する『資本論』へと結実していったことに端的に表現されていよう。逆説的ではあるが、『資本論』は経済学の書物として自らを純化することによって、それを包む外皮としての法的関係に、総体的な分析の基準を与えたのである。
文献学的にも、マルクスによる『経済学批判要綱』から『資本論』へといたる経済学研究の進展は、「国家によるブルジョア社会の総括」や「領有法則の転回」による法の階級的機能への批判がしだいに消滅していく過程であった。それゆえ『資本論』体系の完成は、同時に、そのイデオロギー的表現である法の体系化への着手でもある。いいかえれば初期マルクス以来の懸案である「法学批判」の開始であったとみることもできよう。
したがって、宇野弘蔵が『資本論』を敷衍して構想した「法の原理論」は、経済過程が、商品形態によって諸階級を総括する自立的完結性をもつことに対応して、普遍的で無階級的な形式の法規範に、特殊資本主義的なイデオロギー性を見て取ることを課題とすることになる。そのためには、私法、とりわけ市場経済の自己調整メカニズムを「私的自治・自己責任・財産権の不可侵」というかたちで表現する所有権法の領域で、まずは、完結的世界を構築することが喫緊のテーマとなるであろう。刑法や公法はこれを外から保障するものとして、『資本論』に直接に照応するものではないが、私法の世界は、流通・生産・分配に対応する物神性の堆積プロセスが構造的に解明できるはずである。
本書では、まずは「序章」において、宇野弘蔵自身の言説に依拠し、私なりに法の原理的体系化の構想を提起する。ついで「本論」では、対象をひとまず私法(所有権法)領域に限定して、その編成と展開、体系を、『資本論』の再構成の課題をともないつつ叙述することにする。また、本来の最終目標である現代法分析に鑑み、段階論としての国家による法の制定化のプロセス、および現代法における福祉国家と新自由主義の法政策にかんしても、紙幅の許すかぎり視点を補足したいと思う。
あらためて強調するが、宇野の説いた経済学は、「まず原理論において法学と、ついで段階論で政治学と共同」してこそ、現状を有効に分析しうる本来の意味での社会科学たりうる。その意味で、これまで宇野学派が経済学にこもり、また法学者が宇野理論に無関心であったのは、不可解で異常な事態であったといわざるをえない。本書は、いまなお浅学菲才による誤解に充ちているかもしれない。しかしながらこの試みが、わずかでも経済学と法学とを、さらには社会諸科学全体とを架橋する一助になれば、これにまさる幸せはない。
読者の厳しいご批判とご叱正を仰ぎたいと思う。
著者
目次
まえがき
序 章 宇野弘蔵の法律学
一 はじめに
二 戦後法社会学論争と宇野弘蔵
1 マルクス主義法学への批判
①法の概念論争 / ②宇野弘蔵による批判
2 法社会学への批判
①法カテゴリーの自己発展論争 / ②宇野弘蔵による批判
三 宇野の法学原理論構想
1 法学の方法論
2 経済と法の分離
3 近代法の体系性(私法)
4 近代法の体系性(刑法・公法)
5 法の階級性の含み
四 まとめ─法の社会科学に向けて
第一章 流通形態論と法的人格
一 はじめに
二 予備的考察
1 社会科学の出発点
2 『資本論』の体系と法の構成
三 『資本論』と法的主体
1 商品論と商品所持者
2 交換過程論と私的所有権者
3 価値形態論と意思関係の形成
①簡単な価値形態における個別的意思
②展開された価値形態における意思表現
③貨幣形態による意思関係
4 資本形式と意思関係の限界
①商人資本における特殊的意思
②金貸資本における普遍的意思
5 労働力の商品化と法的人格の確立
四 まとめ─法と国家制定法の関係
第二章 資本の生産過程と労働法
一 はじめに
二 『資本論』における労働法
1 第一巻三篇八章「労働日」の法律論
2 労働日の法律論への疑問
3 いわゆる「市民法から社会法へ」について
三 純粋資本主義と労働法の削除
1 人口法則・市民法・労働諸規範
2 小ブルジョア・イデオロギーとしての労働諸規範
四 労働諸立法の解明
1 労働立法の成立の必然性
2 労働立法の段階論
①資本の原始的蓄積と労働立法
②産業資本的蓄積と労働立法
③金融資本的蓄積と労働立法
五 まとめ─現代労働法の分析のために
第三章 信用制度と債権法
一 はじめに
二 信用をめぐる経済と法
1 ヒルファディングのテキスト
2 我妻栄・実方正雄の債権理論
3 川島武宜・富山康吉の債権理論
4 債権法諸理論の批判的分析
①「流通信用(商業信用)」の法的疑問点
②「資本信用(利息付債権)」の法的疑問点
三 信用と財産法のメカニズム
1 資本主義における所有権と債権
2 財産法の私的自治機能
①好況と財産権の機能
②恐慌と財産権の機能
③不況と財産権の機能
3 債権法の発展プロセスとその限度
①イギリスにおける会社法の未定着
②ドイツにおける会社法の発展
四 まとめ─現代債権法の分析視点
第四章 地代論と土地所有権
一 はじめに
二 マルクスの土地所有論
1 自由な農民的土地所有
2 資本主義的土地所有
三 法学における近代的土地所有権論争
1 土地所有権の私的絶対説
2 土地利用権の優位説
3 プロセスとしての近代化説
四 土地所有権の諸学説に対する批判
1 土地所有権の私的絶対説批判
①農民的小経営における土地所有権
②小農的借地経営における土地所有権
③原始的蓄積期の土地所有権
2 土地所有権の利用権への従属説批判
①歴史的前提としての「絶対地代」
②歴史過程としての「差額地代Ⅱ」
③土地公有化としての「差額地代Ⅰ」
④土地所有権の廃止論
五 資本主義と近代的土地所有権
1 資本主義における土地所有権の意義
2 差額地代第Ⅰ形態と土地所有権の形成
3 差額地代第Ⅱ形態と土地所有権の全面化
4 絶対地代と土地所有権の完成
5 私的所有権の物神性
六 土地利用権の法的位相
1 存続期間と対抗力
2 改良費償還請求権と収去権
3 利用権の譲渡と転貸の自由
七 まとめ─日本における土地法史の分析視点
第五章 労働力の再生産と家族法
一 はじめに
二 エンゲルス『起源』における家族理論批判
1 「種の繁殖」テーゼと経済原則
①二種類の生産論争
②マルクスの人口法則
2 その近代家族法理論の虚構性
3 エンゲルス家族法理論の帰結
三 『資本論』と家族法の理論
1 労働力の再生産と私的保護法
①労働賃金形態
②相続の意義
③相対的過剰人口の維持
2 家族立法の類型論
①重商主義政策としての家族法
②自由主義政策としての家族法
③金融資本的政策としての家族法
④現代資本主義法としての家族法
四 まとめ─日本における家族法史の分析視点
終 章 「領有法則の転回」の批判と所有権法の体系
一 はじめに
二 蓄積過程における所有権
1 第一巻二二章の所有理論
2 蓄積論の所有権論批判
①自己の労働にもとづく所有について
②不払い労働の領有について
③転回論の帰趨
三 原始的蓄積過程における所有論
1 第一巻二四章七節の所有論
2 原始的蓄積論の所有権論批判
①歴史的記述との矛盾
②弁証法史観への疑問
四 資本主義と所有権法の体系
1 流通論と所有観念の形成
①売買と所有権(商品)
②所有と契約の分離(貨幣)
③所有権の絶対性(資本)
2 生産論と所有権の正当性
①労働による所有権(資本の生産過程)
②契約を媒介とする所有権の移転(資本の流通過程)
③所有権法の市民的秩序(資本の再生産過程)
3 分配論と所有権の法イデオロギー
①資本家の意識における所有権(利潤)
②地主の意識における所有権(地代)
③日常イデオロギーとしての所有権法(利子)
五 おわりに
補論1 民主主義法学の衰退と川島法学
一 戦後法社会学の形成
二 前期川島法学の構造
三 変貌する後期川島法学
四 その後の法社会学
補論2 中小企業と「営業の自由」論争
一 「営業の自由」をめぐる学説と判例史
二 「営業の自由」と二つの「公共の福祉」
1 消極的・事後的制限(一三条の公共の福祉)
2 積極的・政策的制限(二二条の公共の福祉)
三 「営業の自由」論争
1 経済学からの批判
2 基本権の第三者効力説
3 社会権的人権説
四 基本的人権というイデオロギー
あとがき
人名索引
青木孝平(あおき・こうへい)
1953年 三重県津市に生まれる
1975年 早稲田大学法学部卒業
1984年 早稲田大学法学研究科博士課程単位取得
1994年 経済学博士(東北大学)
2018年 鈴鹿医療科学大学教授 退職
専攻:経済理論・法思想・社会哲学の相関理論
著書:『資本論と法原理』論創社、1984年。『ポスト・マルクスの所有理論』1992年。『コミュニタリアニズムへ』2002年。『コミュニタリアン・マルクス』2008年。『「他者」の倫理学』2016年、以上、社会評論社。
編著:『天皇制国家の透視―日本資本主義論争』社会評論社、1990年。
共著:『法社会学研究』三嶺書房、1985年。『クリティーク経済学論争』社会評論社、1990年。『現代法社会学の諸問題』民事法研究会、1992年。『法学』敬文堂、1993年。『ぼくたちの犯罪論』白順社、1993年。『マルクス主義改造講座』社会評論社、1995年。『社会と法』法律文化社、1995年。『エンゲルスと現代』御茶の水書房、1995年。『マルクス・カテゴリー事典』青木書店、1998年。『マルクス理論の再構築』社会評論社、2000年。『新マルクス学事典』弘文堂、2000年。『市場経済と共同体』社会評論社、2006年。『コミュニタリアニズムのフロンティア』勁草書房、2012年。『現代社会学事典』弘文堂、2012年。『ドイツ哲学思想事典』ミネルヴァ書房、2019年、など。
A5判上製 272頁
定価・本体2800円+税 ISBN978-4-7845-1865-4 C0030
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倫理なき時代における倫理への渇望の書、ついに登場!─青木孝平『「他者」の倫理学 ─レヴィナス、親鸞、そして宇野弘蔵を読む─』