|寄稿| 野菜は足音を聴いて育つ (板橋春夫)

叢書・いのちの民俗学 特設ページ付録2

野 菜 は 足 音 を 聴 い て 育 つ

板橋春夫

農家の庭先にはかつては野菜畑が作られていた。これを「センゼー」「シルノミバタケ」と呼ぶ。センゼーは「前栽」で、シルノミバタケは「汁呑み畑」である。味噌汁の菜をチョット採ってこられる。センゼーは平安時代から使われる古語で、田舎では現在も使われる。昨年、わが家にセンゼーが誕生した。畳二枚分だから一坪の面積である。

戸建てを構えた四十年ほど前、庭の東隅を花壇用の区画にした。花好きな義母がそこへ紫蘭を植えてくれた。紫蘭は手入れいらずで成長が早く、初夏には紫色の花が咲き、かなり長い期間楽しめる。ずぼらな私には便利であった。数年すると、花壇は紫蘭に占領された。楽しんだ後、霜が降りる前に刈り取らないといけない。ゴミ袋二袋のボリュームになる。数年前、お茶の先生がわが家に立ち寄り、花壇にあふれる紫蘭を見て「増やしすぎですね」と一言。茶花でも植えてみなさいという意味だったように思う。確かに、紫蘭に頼りすぎていた。

二〇二〇年のコロナ禍は、紫蘭対策を実践する好機となった。花壇からセンゼーに切り替えようと思いついた。ナス・キュウリを植え自給自足の第一歩と心に誓った。スコップで紫蘭の根を掘り始めた。隣家の篠竹が浸食していたので、掘り起こすのは一石二鳥と思った。作業を始めると、紫蘭の根と笹竹の根に阻まれ、掘るのは難儀を極めた。五〇センチは掘り返さないと野菜が育たないといわれ、とにかく掘り起こしに精を出した。

その甲斐もあり、ナスは一苗だけだったが立派に成長した。近所の農家から良く育ったナスだと褒められるまでになった。しかし、よく考えると、誉めた人は畑のナスを山ほど持ってきながら言うのである。素直に誉められたのか微妙な気分であった。農家の親父が帰り際、「野菜は人の足音を聴いて育つんだいね」と言った。ナスとキュウリには毎日水をやっていたし、家族全員が毎朝見に行っていたのである。生き物を育てるというのはそういうことなんだ、と思い至った。農家の親父はうまいことを言うなあ、と感心した。

キュウリは苗を植えただけではない。隣家から種をもらって育てたので成長には家族中が一喜一憂の毎日であった。移植の際、私は助言を無視したので全滅。娘の移植は意外とうまくいった。ここは農家の親父の言うとおりにすべきであった、と反省しきり。夕餉には、「今日はわが家のキュウリよ」と注釈付きの料理が並んだ。毎日、野菜の成長を話題にできたので、暗いコロナ禍のわずかな清涼剤になっていた。

さて、二〇二一年はコロナ禍二年目を迎えた。残った紫蘭に申し訳ないが、さらにセンゼーを拡張すべくスコップで掘り起こした。腰を痛めた私をみかねた娘が掘り起こしを手伝ってくれ、センゼーは広がった。彼女は昨秋にナスとキュウリが終わると、野菜作りの魅力に目覚めブロッコリー・ビーツなどを植えた。センゼーから学ぶことは多く、今年の夏野菜が楽しみである。(2021年4月17日記)

 

板橋春夫 (いたばし・はるお)民俗学者。博士(文学&歴史民俗資料学)。一九五四年 群馬県に生まれる。 現在、日本工業大学建築学部建築学科生活環境デザインコース教授。成城大学大学院文学研究科非常勤講師。


|紹介| 叢書・いのちの民俗学 板橋春夫著

投稿者: 社会評論社 サイト

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