| 詳報 | 西谷 大/著『写真紀行 雲のうえの千枚ダム ─中国雲南・大棚田地帯』


『写真紀行 雲のうえの千枚ダム』は、雲南省金平県の者米(ジェーミー)谷に暮らす少数民族の暮らしを2000年からおよそ10年間を住み込みで調査した記録を一般向けに書いたルポルタージュ「棚田に生きる」(企業広報誌『GRAPHICATION(グラフィケーション)』連載)を単行本化しました。本書の半分近くのページは、現地の人々がみせる表情、情景、そして大自然の棚田地帯を著者がとらえた写真で構成しています。紀行読み物として楽しめるのはもちろん、文化人類学的記録としても貴重な作品です。


西谷大/著
写真紀行 雲のうえの千枚ダム
─中国雲南・大棚田地帯─

(装丁・中原達治)

■書誌情報 四六判ソフトカバー 本文272頁、口絵カラー4頁
ISBN978-4-7845-1733-6 定価=本体2,400円+税


著者より読者へ


旅と発見

「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という書きだしではじまる、内田の『阿房列車』は、私の愛読書で、旅にでるときには必ずカバンに放り込む。

行った先での観光地の話もでてこなければ、そもそも内田百閒は温泉につかるのが大嫌いときている。ではなぜ旅をするのか。目的は、ただお酒を飲みながら列車を楽しみたいだけで何か特別な事件が語られるわけではないのだが、これがなぜか何度読みかえしても飽きない。おそらく内田百閒にしかできない物事を見る視点と発見と描写があり、知らず知らずのうちに読者が百閒ワールドへ引き込まれてしまうからだろう。

私たちのフィールド調査も、どこか内田百閒の旅と似ている。調査に出かけるという行為は、当然ながらある目的があるからだが、ただそれははじめから何か明確な発見を意図していない場合がほとんどだ。また確固たる目的(用事)がなく、まずは出かけてみようとする調査(旅)のほうが、かえってその後深く物事の本質にせまる問題に出会う場合が多い。

四国の山猿の物語

この本の舞台の中心は、中国雲南の大棚田地帯だ。雲南でどのような調査と発見があったのかは後で述べるとして、ではなぜ中国の棚田の世界を日本で紹介してみようと思い立ったのだろうか。

中国の調査と併行して、私たちは日本各地で、かつて焼畑をおこなっていた場所や棚田を歩いた。例によって特に何かおもしろい発見をしてやろうという、下心があったわけではない。徳島県郡那賀町の村を歩いたときだ。木頭村には、一九五〇年代の村とその裏山の様子がよくわかる写真が残っている。二枚の写真は、まったく同じ地点から撮った風景だ。おそろしいくらいに変化が激しい。現在は木に覆われている裏山は、一九五〇年代にはほとんど木がはえていない。

村を歩いていて、これまたまったく偶然に、焼畑をおこなっていたという古老に、写真をみせながら話を聞くことができた。実は古写真を撮った場所を苦労して探していたのだが、この古老が「現在は運動場になった、その角のあの電柱の側」と実に正確なピンポイントを教えてくれた。

彼によると、裏山に木がはえていない理由はこうだ。部落の周辺は、常畑や棚田に、すぐ近くの斜面はカリバ(茅を育てる場所)にしていた。焼畑は、さらに山の山頂近く付近に広がっていたという。日常的に利用していた薪炭林は、さらに山の稜線を超えた向こう側だというのだ。

余談だが話を聞いた村の古老はすでに九十歳近かったが、太平戦争時にビルマ戦線に参加したという。木頭村周辺から徴兵された兵隊は、重機関銃を担がされる部隊に配属されたそうだ。若いときから山を駆け上り駆け下りする山仕事のため足腰が強く、重いものをもつことに慣れていたのが理由で、部隊では「四国の山猿」と呼ばれていたらしい。

本題で雲南でも山住の人々が登場するが、彼らの身体能力は私たちの想像をはるかに超えている。木頭村の山利用も、現代人からは想像もつかないほど広範囲だし、山の開発も流行の「自然との共生」という、もの柔らかい言葉とは裏腹に見た目には、「自然」をけっこういためつける「はげ山」に近い利用方法だ。

実は、なにもこのような自然利用は四国の山地地帯だけではない。私たちは、今千葉県君津市を流れる沿いで上流の房総丘陵から下流にかけて、フィールド調査をおこなっている。目的は近世以降、人々がどのような自然利用をおこなっていたのか、その変遷を明らかにすることだ。現在この地域を歩くと山々は木々に覆われ、「豊かな自然」をイメージさせる里山風景がひろがる。

千葉県は、日本で二番目に山の平均標高が低い県だ。最高峰は(四〇八メートル)である。しかし山が低いからといってなめてはいけない。「房総丘陵」という丘の連続というイメージとは裏腹に、谷川がりだす斜面は非常に急で谷は深く山間に狭い平地が連なる。

山の尾根伝いを歩くと、突然、両側が絶壁になったり、尾根の先が途切れて崖になっていたりする。また山々には木が生い茂り見通しがきかないだけでなく、際立った高い山がないため、現在位置を確認する目標物が少ない。つまりどこを歩いても同じように見えてしまう。地図とコンパスを駆使してもけっこう迷う。

しかしこのような低山ながら「山深い」風景も、実は昭和四十年代から徐々に広がりはじめたにすぎない。(以下、本書をご覧下さい。)

序章より転載


■目次

序論   見える水と見えない水 ─雲南の棚田と千葉の二五穴

* 旅と発見
* 四国の山猿の物語
* 魔法の二五穴
* 「見える水」と「見えない水」
* 活きた棚田の記憶

棚田に生きる ─雲南調査から─

犬棒調査のはじまり
* 雲海の上の棚田
* 調査地との出会い
* 市を駆けるアールー族
* ネコ村へ

トラの棲む黒い森
* 草果との出会い
* ヤオ族の村で暮らす
* 山の上の棚田
* 雲南国境の原生林
* トラの棲む黒い森

七十個の魂
* さまざまなあの世
* お通夜
* 七十個の魂と飛翔する魂
* メインイベント
* 葬儀は続く

水と棚田
* 棚田は「美しい」のか
* 二期作が可能なタイ族の棚田
* アールー族の棚田は水との戦い
* 緻密で厳密な水の分配システム
* 棚田の美しさとは

ヤオ族の歌垣
* 歌垣とは
* 歌垣の第一日目の夜
* 歌垣の第二日目の朝
* 歌垣の五日目の朝
* バイクと歌垣

者米谷の定期市(前編)
* 「弘法さん」と「土佐の日曜市」
* 市の前日から当日の朝
* 動物の鳴き声でにぎやかな午前中の市
* 半物々交換もある
* 午後は急速に市の収束へ
* 市の十四時~十五時三十分

者米谷の定期市(後編)
* 市はもうかる
* アールー族の場合
* ヤオ族の場合
* タイ族の場合
* 市の小宇宙的世界
* システマチックな定期市
* 者米谷の人々をつなぐもの

者米谷の食
* タイ族の春節の食卓
* 肉のもつパワー
* タイ族の日常の食卓
* ヤオ族の食卓
* 生の自然食べる者米谷、加工した自然を食べる日本

魚を捕ると結婚できる話
* ドジョウ漁
* タウナギ漁
* 「植えたもの」と「勝手に生えてきたもの
* ウケの回収
* 魚捕り名人
* 日常食としての魚

国境の赤い十字架
* 最後の焼畑農耕民
* ヤオ族の出自物語とクーツォン族
* 政策に翻弄されたクーツォン族
* 国境の村
* 山の自由な民
* 赤い十字架

消える棚田と残る棚田
* 日本の「里山」と「トトロ」
* 消える棚田
* 那発のバナナ畑とパラゴム林
* 三万人の町の棚田
* 壩子の風景
* 棚田とともに

フィールドとの邂逅
* 遠い太鼓にさそわれて
* 洗面器とともに海を渡る
* 一九八〇年代の中国素描
* 海南島から雲南へ
* 旅とフィールド調査

おわりに
* お詫び(!?)
* 滝を作り、台地を囲む
* なぜ歩くのか

 


■著者紹介 : 西谷大(にしたにまさる)

国立歴史民俗博物館教授。熊本大学文学部史学科(1984年卒業)、熊本大学大学院文学研究科史学専攻修士課程(1986年単位取得退学)、中華人民共和国中山大学人類学系 (1989年まで留学)。

主な著作『食べ物と自然の秘密 自然とともに』( 小峰書店、2003年、第50回青少年読書感想文全国コンクール課題図書)『多民族の住む谷間の民族誌─生業と市からみた環境利用と市場メカニズムの生起』(角川学芸出版、2011年)編著『見るだけで楽しめる!ニセモノ図鑑 贋造と模倣からみた文化史』(河出書房新社、2016年)

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